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本当は楽しいものなのかもね|自由研究の思い出

今週のお題「わたしの自由研究」

自由研究と聞いて思い出してみると

自由研究、なつかしい響きです。 小学校のころの夏休みの宿題でしたね。
2種類の思い出があります。

楽しかった思い出。
あせっていた思い出。

楽しかった思い出

住んでいた街の、住んでいた家の目の前、なんかちっこいお地蔵さんがいて、 近所の人なのか、お花が備えられていたり大事にされている。 それがなんなのか知りたいなぁって、素朴な少年は思っていました。

なんだろう、こどもの頃だったんで、こどものやりたいを親がフォローしてくれたのでしょうね。 計画して、近所の人へのインタビュー、図書館での調査、結果の考察、発表用に模造紙に結果をまとめる。 ってのをやったんですよね。 結果は地域の歴史の中での物語があるものだったと思います、こどもながらにそれがわかったこと、 わかるまでの、近所の人とのふれあいや、図書館での調査がなんか新しい道具を手に入れた感覚だったこと、 まとめて人に伝えられたこと、一連の、まぁ今思うとプロジェクトだよね、が楽しかった思い出があります。

なんか、ちょっとしたジャーナリスト気分と言いますか。 プロセスの体験と、結果を出せたことが楽しかったんだろうな。 こういういい思い出も、あるといえばあります。

あせっていた思い出

自由がほしんだ、フリーダム!と叫んでみたとして、その青い感じ。 俺は社会にも大人にも縛られたくない、俺だぜ、個性を持った俺だぜ。 ロックな生き方に憧れ、大人になりたくないと歌う。 なんてわけで、自由というと若者の叫びという感じがします。

夏休みの宿題の話に戻ると、自由なんてのは、それこそ取り扱いに困るというか、 まじめに考えないとふわふわしたまま、やっべ、もう夏休み終わるじゃん。 なんもしてない自由研究、どうしよう、となります。

なんか親にお願いして、工作キット買ってもらって慌てて作ったりとか、 いかに誤魔化すかだけを考えて焦るよね。 宿題をまとめて片付ける大作戦みたいな記憶がありますよ。 これは、非常に面白くないです。今思うと時間の無駄でしかないな。 それなら遊んでいるほうがよっぽど人生の糧になってるかもしれないですよね。 というしょーもない思い出もあります。

しかも、こっちの焦っている思い出のほうが多い気がするなぁ、 今思うともったいないですね。

自由なんだから

自由に日頃の疑問とか、自分の興味のあるものにうまく取り組めるなら 楽しい宿題なんだと思います。

でも、こどもなんで、ほっとかれてもできないのかなぁ。 単純に、親に余裕あった年は、うまく誘導してもらってただけのような気もしてきた。

大人でも、自由研究の発想でなんかしたら面白いような気もします。 大人の自由研究、この単語って昔流行りましたっけ。なんか聞いたことがあるような気がしました。


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